火幡神社

更新日:2017年02月28日

 山上のすべてと小黒・送迎(ひるめ)の一部の氏神で、明神山参道を境に白山姫神社と氏子域を二分しています。『新抄格勅符抄(しんしょうきゃくちょくふしょう)』には、大同元年(806)に伊予国10戸の神封を火幡神に与えるという記事があり、平安時代にはすでに存在していたことがわかっています。本来は火幡神を祀り、すぐれた織物・機織を意味する火幡・秀幡・秀機(いずれも「ほはた」と読む)という言葉から、養蚕・機織を担う集団に祀られたのがはじまりとも考えられます。

 火幡神社のなかで最も古い灯籠は、拝殿石段下の西側にあるもので、元禄9年(1696)に畠田村の人々によって奉納されています。現在の拝殿は昭和46年(1971)に再建されたものですが、それ以前の拝殿は明神山の山頂に建立されていた送迎太神宮の拝殿を移築したものであったといわれています。鳥居前にある石灯籠は、天保2年(1831)に大坂の人々が送迎太神宮(ひるめだいじんぐう)に奉納したもので、送迎太神宮が撤去された後、この場所に移されてきたと考えられます。また、江戸時代にはナモデ踊りが行われており、かつては踊りに使用した太鼓などが残されていました。 

(写真)火幡神社の拝殿

火幡神社の拝殿

(写真)火幡神社の灯籠

元は送迎太神宮に奉納されていた鳥居前の石灯籠

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