永福寺

更新日:2017年02月28日

 来迎山と号する浄土宗の寺院です。行基によって開かれ、途絶えていた寺院を、江戸時代前期に正波という僧が中興したと伝えられています。峯心(正波)坐像の底面には、彼によって寺が再建され、彼は寛文10年(1670)に死去したことが刻銘されています。本堂は18世紀初期の建立と考えられます。本堂の南側に位置する観音堂は、東北隅の鬼瓦に貞享5年(1688)に畠田の瓦師・市右衛門が作成したという刻銘があることなどから、17世紀後期の建立と考えられます。

 本堂の本尊である釈迦如来像は寄木造で、穏やかな顔つきやゆるやかな肉取りなどが12世紀半ばまで流行した定朝様式を表しており、平安時代後期の制作と考えられます。一木造の地蔵菩薩像は釈迦如来像よりも古く、10世紀前半の制作と考えられます。境内には平安時代後期以前の建立と考えられる高さ3メートル、凝灰岩製の7重の層塔があり、元禄8年(1695)に画僧の古礀によって描かれた仏涅槃図の大幅も蔵されています。 

(写真)永福寺の風景

永福寺

(写真)永福寺の本尊

永福寺の釈迦如来像

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