亀の瀬荷継ぎ場跡

更新日:2017年02月28日

 江戸時代の大和川には荷物を運ぶための川船が就航し、おもに大坂で購入された油粕などの肥料が大和の農村へと輸送されました。大坂からは剣先船と呼ばれる船が上ってきましたが、亀の瀬には銚子口という滝があったためにそれより上流には上ることができませんでした。したがって、亀の瀬には剣先船の荷物を小揚げする問屋場が設けられていました。亀の瀬の問屋場には魚梁問屋と藤井問屋があり、それぞれ剣先船を係留する浜をもっていました。魚梁問屋は亀の瀬で小揚げした荷物を魚梁船に積み替えて大和国の村々へと輸送し、藤井問屋は亀の瀬で小揚げした荷物を牛馬の背中につけて大和国の村々に輸送するという業務を行っていました。寛政3年(1791)『大和名所図会』には藤井問屋のようすが描かれ、浜に係留されている剣先船や船から小揚げした荷物を扱う仲仕などの姿を確認することができます。藤井問屋の仲仕の多くは藤井村の住人で、牛馬に荷物をつけて運ぶ駄賃取りのなかには王寺村の住人もいました。

(写真)現在の亀の瀬

現在の亀の瀬の様子

(画像)藤井の問屋場の絵

『大和名所図会』に描かれた藤井問屋(歴史図書社刊本から) 

(画像)藤井の問屋場の拡大

『大和名所図会』に描かれた藤井問屋の絵、左側の拡大像

(画像)亀の瀬問屋場の復元図

亀の瀬問屋場の復元図

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