明神山が奈良県初の国登録記念物(名勝地関係)に
![明神山から大阪平野、明石海峡方面を望む](http://www.town.oji.nara.jp/material/images/group/11/Mtmyojin_touroku.jpg)
明神山から大阪平野、明石海峡方面を望む
令和6年12月20日、国の文化審議会は、王寺町の「明神山(送迎山)」を新たに登録記念物(名勝地関係)に登録するよう文部科学大臣に答申しました。
現在、名勝地関係の登録記念物は全国に115件あり、今回答申されたものが登録されれば118件になりますが、奈良県では、「明神山(送迎山)」が遺跡関係、名勝地関係並びに動物、植物及び地質鉱物関係を含めて初めての登録記念物となります。
明神山(送迎山)
■ 登録の名称 明神山(送迎山)[みょうじんやま(ひるめやま)]
■ 所在地 奈良県北葛城郡王寺町畠田2638番ほか 明神山自然の森公園
■ 登録の面積 9,659平方メートル
■ 登録の特徴及び評価
明神山(みょうじんやま・標高273.6m)は、大阪府と奈良県の府県境、奈良盆地の西を南北に縦走する生駒・金剛山系に属し、大和川が山系を分かつ金剛山地の北端に位置する。近世の畠田(はたけだ)村領に当たるこの地域は、役行者が法華経28品を埋衲した経塚を巡拝する葛城修験の第28番経塚として明神山や亀の瀬が比定されており、古くからの信仰地として知られ、かつて送迎山(ひるめやま)と呼ばれて、水(すい)神社が祀られてきた。その名には諸説あるが、聖徳太子が斑鳩と河内の往来の折に、送りと迎えの使者がここに落ち合い、それが昼飯時であったことから「送迎」と書いて「ひるめ」と読むようになったとも考えられており、その道の名も送迎道(ひるめみち)と呼ばれて来た。江戸時代のおかげ参りに伴って、文政13年(1830)にわずか1年余りの間、山頂に祀られた送迎太神宮(ひるめだいじんぐう)を描いた『和州送迎太神宮之圖』には、信仰地の様子が窺われ、夕日に向かい難波(なにわ)や住吉、淡路島への眺望を求める人びとの姿も伝えている。明神山は、生駒・金剛山系の中でもひときわ低い岳峰であるが、周囲の地勢の相対的な関係から、四方八周の広大な眺望に開け、東の奈良盆地や西の大阪平野、南北の山並みを一眸(いちぼう)のうちに収める。古代以来の地域における歴史文化の象徴を成し、低山ながら現代にもその眺望が広く親しまれている名所として意義深い。
(出典)文化庁作成資料
![明神山名勝調査報告書の表紙](http://www.town.oji.nara.jp/material/images/group/11/Mtmyojin_meishoReport_samune.jpg)
明神山の国登録記念物への登録の提案にあたり、王寺町が作成した詳細な調査報告書です。合わせてご覧ください。
登録記念物とは
登録記念物は、(1)古墳や城跡など遺跡関係、(2)庭園や峡谷、山岳など名勝地関係、(3)動物、植物および地質鉱物関係の「記念物」と称する文化財を対象としています。
登録文化財は、1996年の文化財保護法の改正により、指定制度を補完するものとして制度化され、保存・活用のための措置が特に必要とされるものを幅広く文化財登録原簿に登録して、届出制と指導、助言、勧告を基本とするゆるやかな保護措置を講じて、所有者の自主的な保護を期待する制度です。
当初は建造物だけを対象にしていましたが、2004年に美術工芸品や歴史資料など建造物以外の「有形文化財」、暮らしや祭りの道具などの「有形民俗文化財」、遺跡や庭園、動植物などの「記念物」という類型の文化財にも設けられました。
登録文化財は、国と地方公共団体によって指定されたもの以外の文化財から登録されます。
明神山 Photo
![明神山とその眺望](http://www.town.oji.nara.jp/material/images/group/11/myojintyobo.jpg)
明神山とその眺望
明神山展望デッキ
![雲海に包まれて](http://www.town.oji.nara.jp/material/images/group/11/unkainitutumarete.jpg)
松本直己氏撮影「雲海に包まれて」
![初日の出](http://www.town.oji.nara.jp/material/images/group/11/hatuhinode.jpg)
橋本博氏撮影「初日の出」
この記事に関するお問い合わせ先
地域交流課 文化資源活用係
〒636-0013
奈良県北葛城郡王寺町元町1-9-28
電話番号:0745-72-6565
更新日:2024年12月21日