Southeast VIEW from the top of myoujinyama 奈良側(南東方向)の眺望 vol.1

  • 1.龍王山

    龍王山は標高585.6mの山で、その山頂からは天理市をはじめ、奈良盆地全体の眺望が良い。西側は春日断層崖に面している。
    「竜王山」の名称をもつ山は、降水の少ない瀬戸内海沿岸を中心に各地にある。水・雨をもたらす竜王を山頂に祀り、いわゆる雨乞いを行う山の意が込められている。この竜王山の山頂西側にある雨乞いの竜王を祀ったことに由来している。山頂には南城と北城で一つとなす別城一郭となる龍王山城の城塁跡が残る。戦国時代の十市遠忠による築城で、十市氏が松永久秀に敗れて松永氏の居城となった後、松永氏が織田信長に敗れて廃城となった。
    〔明神山から直線距離18.4km〕

  • 2.三輪山

    三輪山はなだらかな円錐形の山体をなしており、頂上の標高は467.1mである。三諸山とも呼ばれている。古墳時代には、山麓に大型古墳が築造された。この一帯を中心にして日本列島を代表する政治的勢力が存在したと考えられている。
    『記紀』には、三輪明神の祭神大物主神(現 大神神社)の伝説が載せられ、三輪山は神の鎮座する山、神奈備とされている。大神神社には本殿がなく、拝殿から神体である三輪山を拝む。これまで神宿る山とされ、神官僧侶以外は足を踏み入れることができなかった。今は、許可を得て規則を遵守すれば入山可能である。
    〔明神山から直線距離18.1km〕

  • 3.高見山

    高見山は、奈良県と三重県の県境となっている台高山脈の北端に位置しており、標高は1,248.4mである。頂上からは奥吉野・宇陀の連山が一望できる。古くから神奈備として信仰されたという。奈良県側の紀ノ川支流の高見川(平野川・杉谷川)と、三重県側の櫛田川の源流付近となっている。また、この山の付近を中央構造線が通っている。関西では冬に霧氷や樹氷を見ることができる登山先として知られる。かつては高角山、高水山などと呼ばれた。高見峠は大和と伊勢を結ぶ要地である。
    〔明神山から直線距離41.6km〕

  • 4.近鉄田原本線

    西田原本―新王寺間約10㎞を結び、大正7(1918)年4月に大和鉄道が新王寺―田原本間を開業させたのにはじまり、一時は路線が桜井まで延びていた〔田原本―桜井間は昭和19(1944)年1月休止〕。開業当初は国有鉄道線(現 JR在来線)と同じ軌間(ゲージ)であったが、昭和23(1948)年4月に近鉄橿原線並みの軌間に拡幅、同時に電化した。昭和36(1961)年10月に信貴生駒電鉄に合併、さらに同社が昭和39(1964)年10月に近鉄に合併された。

  • 5.大神神社

    桜井市にある三輪山を神体とする。崇神天皇の時、疫病が流行したが、三輪山の神である大物主神のお告げで、この神を大田田根子に祀らせたところ、平安になったのが始まりとされる。大田田根子は三輪君の祖とされ、代々三輪君が祭祀に当たってきた。秀麗な山そのものが崇拝の対象であるため、本殿を持たない。日本きっての古社であり、『延喜式』では名神大社に列せられ、のちには大和国の一宮とされた。酒の神としても知られている。
    〔明神山から直線距離17.1km〕

  • 6.大神神社大鳥居

    大神神社参道入り口には、かつて一の鳥居があったが、老朽化により昭和45(1970)年に撤去されていた。その後、県道三輪山線が開通すると、県道は神社ヘの参詣者も数多く通行するようになる。そうしたなか、昭和60(1985)年に県道へ大鳥居を建立しようという気運が高まっていった。多数の人びとからの奉賛金が寄せられ、県道三輪山線入り口をまたぐ大鳥居が昭和61(1986)年に竣工した。大鳥居は耐候性鋼板で高さ約32.2m、柱間は23.5mにおよぶ大きさである。
    〔明神山から直線距離16.3km〕

Southeast VIEW from the top of myoujinyama 奈良側(南東方向)の眺望 vol.2

  • 7.音羽山

    音羽山は標高851mで、竜門山地に属しており、音羽山から南へ経ヶ塚山889m、熊ヶ岳904mに連なっている。連続するこれらの山々は「音羽三山」と称され、登山を楽しむ人が多い。このあたりは桜井市東部と宇陀市との境界付近である。
    音羽山(倉橋山)にまつわる万葉集の歌として「梯立の倉橋山に立てる白雲みまく欲りわがするなべに立てる白雲」がある。本居宣長の『菅笠日記』には、「東の方にいと高き山をとへば。音羽山とぞいふ。音羽の里といふも。その麓にありとぞ」と記されている。
    〔明神山から直線距離22.2km〕

  • 8.経ヶ塚山

    経ヶ塚山は奈良盆地南東部にある標高889mの山で、北の音羽山標高851m、南の熊ヶ岳標高904mと合わせて「音羽三山」と総称され、稜線を縦走する登山ルートはよく知られている。この連なる3つの稜線は西の桜井市と東の宇陀市を分ける境でもあり、同時に奈良盆地と宇陀盆地の境でもある。この場所が多武峰談山神社の鬼門にあたる方向にあり、経文が埋められたことが山名の由来とされる説がある。
    〔明神山から直線距離22.6km〕

  • 9.耳成山

    耳成山は、奈良盆地の南部に位置する奈良県橿原市にある。標高は139.6mだが、山頂にある三角点の標高は139.2mである。大和三山の一つで、最も北に位置する。歴史的風土特別保存地区と国の名勝に指定されている。万葉集には「耳梨山」とも記される。また「天神山」との記録も残される。
    この山は第三紀に噴出した火山岩が侵食されてその一部のみが残存した侵食地形である。瀬戸内火山帯に属する独立峰であり、安山岩より形成される。
    山頂からの眺めは特別な整備はされていないので眺望は全くない。山頂よりやや低い所に天神社(耳成山口神社)がある。
    〔明神山から直線距離13.6km〕

  • 10.天香久山

    あまのかぐやまは、天香久山ならびに天香具山と記され、かぐやま(香久山・香具山)とも呼ばれる。国土地理院の地形図では「天香久山」としている。万葉集の詠まれた歌にもさまざま表記がみられる。標高は152.4mで大和三山(天香久山、畝傍山、耳成山)の中では2番目に高い。他の二山が単独峰であることに比べると多武峰から続く竜門山地の末端にあたる。
    古代から「天」という尊称が付くほど三山のうち最も神聖視された。『伊予国風土記』逸文に、天から山が二つに分かれて落ち、一つが伊予国(愛媛県)「天山(あめやま)」となり一つが大和国「天加具山」になったと記されている。
    〔明神山から直線距離13.6km〕

  • 11.畝傍山

    畝傍山は、「畝火山」、「雲根火山」、「宇禰縻夜摩」とも記され、「慈明寺山」、「御峯山」などと呼ばれた。万葉集では「瑞山」とも詠まれた。大和三山の一つで、標高は198.8m(山頂にある三等三角点の標高は198.49m)で三山のなかで最も高い。平成17(2005)年には国の名勝に指定された。山体は第三紀に噴出した火山岩が侵食されて、その一部が残存した侵食地形である。
    江戸時代以前は、山上に70以上の寺院があったとされる。西麓には曹洞宗慈明寺が残り、そばに畝火山口神社がある(山頂にも社殿が残る)。明治時代になり、麓に橿原神宮を興され、多武峰の神武天皇の「御霊」を移したとされる。
    〔明神山から直線距離13.5km〕

South VIEW from the top of myoujinyama 和歌山側(南方向)の眺望

  • 12.葛城山

    葛城山は、北の二上山や南の金剛山に連なる金剛山地にある山の一つで、標高は959mである。山頂は奈良県御所市と大阪府南河内郡千早赤阪村との境をなしている。西側斜面に対して東側斜面は急傾斜である。大和国では戒那山、天神山、鴨山、河内国では篠峰と呼ばれていた。一帯は金剛生駒紀泉国定公園となっていて、複数の登山道のほか、東側斜面には葛城山ロープウェイが敷設されている。葛城高原と呼ばれる山頂付近には、ツツジの開花時期に多くの観光客が訪れる。
    〔明神山から直線距離13.1km〕

  • 13.二上山

    二上山は金剛山地北部の二上火山群の主峰で、北方の雄岳(517m)と南方の雌岳(473.9m)の二つの山頂をもつ。かつては「ふたかみやま」と呼ばれた。この山頂から東側は奈良県葛城市と西側は大阪府南河内郡太子町である。石器に使われた讃岐岩(サヌカイト)の産地として知られ、また、松香石は古墳や寺院の建築材に使用されてきた。柘榴石は研磨用の金剛砂を作るために採取されている。
    二上山の北側で遺跡が多く発見されていることから二上山北麓遺跡群とも呼ばれている。後期旧石器時代から弥生時代にかけて石器・敲石類が採集されており、採掘坑も確認されている。
    雄岳山頂には近世まで水神が祀られ、山麓の村々は岳郷を形成して雄岳に雨乞いをした。
    〔明神山から直線距離5.4km(雄岳)〕
    〔明神山から直線距離5.8km(雌岳)〕

  • 14.金剛山

    金剛山は、奈良県御所市と大阪府南河内郡千早赤阪村との境目にある山で、かつては高間山、高天山、葛城嶺と呼ばれていた。標高は1,125mで金剛山地の主峰である。他に湧出岳1,111.9m、大日岳1,094mの頂がある。最高地点は葛木岳とされ、御所市の葛木神社の本殿の裏にあたるが、神域のため立ち入ることはできない。国見城跡の広場が山頂扱いされている。西側斜面に金剛山ロープウェイが敷設され、山頂付近まで林道が整備されている。一帯が金剛生駒紀泉国定公園になっているほか、大阪みどりの百選に選定されている。
    〔明神山から直線距離17.5km〕

West VIEW from the top of myoujinyama 大阪側(西方向)の眺望 vol.1

  • 15.淡路島

    ここから約60km先にみえる淡路島は、瀬戸内海で最大の面積を持つ島である。神話では日本で最初に創造された島であるとされ、古代から平安時代までは朝廷に海産物の食料を貢ぐ御食国(みけつくに)のうちの一つであった。淡路島は、昭和60(1985)年には大鳴門橋で四国と、平成10(1998)年には明石海峡大橋で本州と自動車専用道路で結ばれた。現在ではたまねぎの栽培や瓦の生産など、特産物も多い。

  • 16.大阪湾

    ここから約30km先の大阪湾は、神話の時代から「茅渟(ちぬ)の海」と呼ばれてきた。奈良・京都・大阪を政治・経済の中心とした時代には、重要な海路である瀬戸内海航路の起点となっていた。遣隋使や遣唐使の船は大阪の住吉津を発着地として、瀬戸内海を経由して中国まで航海したのである。現在では、湾岸の埋め立てが進んで臨海工業地帯となり、大工場が立ち並んで重化学工業がさかんとなっている。

  • 17.明石海峡大橋

    本四連絡橋3ルート中で最も東側に位置する神戸-鳴門ルートの本州-淡路島間に架かる吊り橋。橋長は約3,900m、中央支間約1,991mにおよぶ。当初は鉄道併用橋として計画されたが、現在は6車線を有する道路単独橋となっている。平成10(1998)年4月に完成し、京阪神と四国の大動脈の一部として日々多くのトラックやバス、自家用自動車などが往来している。
    〔明神山から直線距離60.6km〕

West VIEW from the top of myoujinyama 大阪側(西方向)の眺望 vol.2

  • 18.あべのハルカス

    近鉄大阪阿倍野橋駅のターミナルビル・複合商業施設として平成26(2014)年に竣工、開業した超高層ビルの名称。ビルの高さは300mと、日本一を誇る。大阪国際空港(伊丹空港)から近距離にある大阪駅周辺が、航空法による高さ制限により200m弱のビルにとどまるのに対し、あべのハルカス周辺はこの制限の範囲外に位置するため、このような高さの超高層ビルの建設が可能になった。
    〔明神山から直線距離17.2km〕

  • 19.六甲山

    六甲山は、神戸市の市街地の西から北にかけて位置する山塊で、一般に六甲山系全域を指し、そのなかの最高峰を六甲(山)と呼んでいる。山系は南北に狭く、東西方向に長さ数十kmにわたる。市街地は、この山系に源を発する河川によって形成された合流扇状地を主とする沖積平野上に発達し、山麓まで開発が進んだ。山中の別荘地は良く知られている。
    神戸港が良港とされた理由のひとつは、この山系が北西の風を弱めることにある。しかし、冬季には神戸市の北側に位置する六甲山系から吹き降ろすことから、この風は「六甲颪」と呼ばれている。
    〔明神山から直線距離44.2km〕

North VIEW from the top of myoujinyama 奈良側(北方向)の眺望 vol.1

  • 20.高安山

    高安山は、生駒山地に連なる峰の南、大阪府八尾市と奈良県生駒郡平群町との境に位置する標高 488m の山で、頂上の三角点は大阪府側にある。 西側は急崖になっており、7世紀後半に大和朝廷によって高安城が築かれたことで知られる。近代には堂島の米相場の変動を奈良や三重方面に伝える信号の場所があった。
    頂上の三角点の南に大阪管区気象台の気象観測レーダーがある。山頂東側の奈良県側には「信貴生駒スカイライン」のほか、ハイキングコースも整備されている。山頂を少し南に下ると近鉄西信貴鋼索線の高安山駅がある。
    〔明神山から直線距離5.1km〕

  • 21.信貴山

    信貴山は、花崗岩を基盤とする安山岩質の突起で、雄岳と呼ばれる北峰(437 m)、および雌岳と呼ばれる南峰(400.5 m)の二峰からなる。信貴山を含む生駒山地は、西の大阪府側が断層により急傾斜しているのに対し、東の奈良県側は比較的傾斜も緩く、侵食の進んだ谷が稜線近くまで発達している。そのため東側は中腹まで水田や樹園地が広がっているほか住宅開発も進んでいる。
    名称は聖徳太子が物部守屋を攻めたときにこの山で毘沙門天が現れ、太子が信ずべし、貴ぶべしといったことに由来するといわれている。南の山腹には信貴山真言宗朝護孫子寺があり、雄岳山頂にはかつて信貴山城があった。
    〔明神山から直線距離4.4km(雄岳)〕
    〔明神山から直線距離4.2km(雌岳)〕

  • 22.信貴大橋

    信貴山朝護孫子寺南側の谷を大門ダムによって堰き止めてできた貯水池に県道236号を通すために架橋された全長106mのアーチ式の橋である。標高270m付近にある。この橋によって谷を挟む二つの門前的な集落(信貴山東地区と信貴山西地区)が結ばれている。東地区は門前街の風情が残り、西地区は料亭や宿泊施設が密集している。また、麓から信貴生駒スカイライン入口へもアクセスができる。
    〔明神山から直線距離3.8km〕

  • 23.生駒山

    生駒山は、南北に長い生駒山地の主峰である標高642mの山をさす。生駒山地は奈良県と大阪府との県境が走っている。日本書紀における神日本磐余彦尊と長髄彦が激戦を繰り広げた場所がこの生駒山の山麓とされ登場する。
    古くは役行者による鬼退治の伝説で知られ、山腹には現世信仰で知られる宝山寺を中心として、滝の修行場や祠など大小さまざまな施設が設けられている。
    山上には生駒山上遊園地があり、夏に納涼を求める人も多い。山上や中腹には、大阪府・奈良県にある各テレビ局の送信所が個々に設置されている。かつては企業の保養所や別荘地として多くの建物が設けられていた。
    〔明神山から直線距離11.7km〕

  • 24.亀の瀬

    亀の瀬地区は地すべりが繰り返し発生してきた地域として知られている。その移動土塊量は約1,500万㎥に達すると推定されており、なかでも昭和6(1931)年から7(1932)年にかけて発生した地すべりは、国鉄(現 JR)関西本線のトンネルを崩壊させてしまい、線路が大和川の南に移設されたほか、地すべりの移動体が河床を隆起させて大和川を堰き止めたことで、一時的なダム湖が広がったために王寺町市街地に水害が発生した。現在は国土交通省近畿地方整備局により水抜きトンネルなどが整備され、常時観測も行われている。

  • 25.信貴山朝護孫子寺

    信貴山頂近くにある信貴山真言宗の総本山。本尊は毘沙門天王。創建は不詳であるが、寺伝では聖徳太子の物部守屋討伐と結びつけて語られる。現在、境内に多数のトラの像が置かれているのは、その中で毘沙門天王が出現するのが寅の年、寅の日、寅の刻だからである。延喜(901-923年)頃、僧命蓮が中興し、貴顕の尊崇を集めた。この命蓮を主人公とする説話を描いた国宝「信貴山縁起絵巻」が伝わっている。本堂は昭和33(1958)年の再建であるが、如意宝珠に心願成就を祈る戒壇めぐりができる。
    〔明神山から直線距離4.1km〕

North VIEW from the top of myoujinyama 奈良側(北方向)の眺望 vol.2

  • 26.比叡山

    北東の遠方にみえる一際高く見える二つの峰は比叡山である。滋賀県大津市西部と京都市北東部にまたがる。古事記では「日枝山」と記されている。平安遷都後、最澄が堂塔を建て天台宗を開いて以来、王城の鬼門を抑える国家鎮護の寺地となった。京都の鬼門にあたる北東に位置することもあり、比叡山は王城鎮護の山とされた。
    比叡山は、大津市と京都市左京区の県境に位置する大比叡848.3mと左京区に位置する四明岳838mの二峰から成る双耳峰の総称である。高野山と並び古くより信仰対象の山とされ、山中には延暦寺、山麓には日吉大社があり信仰の場として繁栄した。別称に叡山、北嶺、天台山、都富士などがある。
    〔明神山から直線距離56.6km〕

  • 27.蓬莱山

    比叡山のさらに遠方にみえる頂は蓬莱山で、比良山地中部に属する山である。比良山地の中では武奈ヶ岳に次いで二番目に高い。比良山地一帯は琵琶湖国定公園に指定されている。山頂には一等三角点「比良ヶ岳」が設置され1,173.94mとなっている。比良山地は古生層へ貫入した花崗岩からなり、東側は断崖となっているため屏風のような山が連続する。
    蓬莱とは元来中国の伝説で仙人が住む東海にある霊山であり、比良山地も修験者の霊山であったことに由来するとされる。冬には日本海側からの寒波を受け止めるため積雪が多く、山頂北側にはびわ湖バレイスキー場があり、関西では都市部から近いことで知られる。
    〔明神山から直線距離73.8km〕

  • 28.平群谷

    西の生駒山地と東の矢田丘陵の間にある緩やかな傾斜に挟まれた構造谷で、谷の底部に竜田川が南流しており、沖積層の河谷を形成している。その竜田川はこの谷を出た三室山南方で大和川と合流する。この平群谷北部の谷は生駒谷と呼ばれ、平群谷と別にすることもある。
    古代豪族である平群氏の本願地であり、 古墳時代後期から飛鳥時代にかけての遺跡が多数残されている。
    この谷を近鉄生駒線が通り、生駒山地の東麓は住宅地開発進み、多くの人口を抱えるようになった。竜田川の谷底から東西の山麓にむけて、水田、集落、畑地(果樹・花卉)といった土地利用がみられる。

  • 29.大峰山

    大峰山は、広義には大峰山脈全体を示し、狭義には山上ヶ岳をさす。また、稜線では大峰山脈のうち山上ヶ岳の南にある小篠から熊野までの峰々をさして大峰山とし、小篠から山上ヶ岳を通り吉野川河岸まで尾根沿いを金峰山とする。この一帯は古くから修験道の山として山伏の修行の場であった。道場としての大峯山は、単独の山を指す名前ではなく吉野山から熊野へ続く長い山脈全体を意味している。その中でも山上ヶ岳(旧名:金峯山)の頂上付近には修験道の根本道場である大峯山寺山上蔵王堂があり、山全体を聖域として現在でも女人禁制が維持されている。山上ヶ岳へ通じる登山道には、宗教上の理由により女人禁制である旨を伝える大きな門がある。
    一帯は吉野熊野国立公園内で、ユネスコによって昭和55(1980)年に生物圏保護区に登録され、平成16(2004)年7月には世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の主要な構成要素として登録された。
    〔明神山から直線距離43.2km〕

  • 30.矢田丘陵

    矢田丘陵は生駒山地の東側に平行して南北方向に長い。南北の長さは約13km、標高300m程度が続く丘陵である。全体に緩やかな地形であり、中心には標高315mの松尾山があるほか、最も高いのは矢田峠の北方地点で、その標高340mである。
    生駒山地と矢田丘陵に挟まれた谷は生駒谷、平群谷が形成され谷底を竜田川が流れている。また、丘陵北部の東と西ノ京丘陵との間には富雄川が流れ富雄谷を形成している。
    丘陵の中には旧集落は少ないが、松尾山の南西中腹に平群町白石畑の集落が存在し、干瓢の栽培が行われている。丘陵北部では大阪のベッドタウンとして宅地開発が盛んにおこなわれてきた。

  • 31.松尾山

    松尾山は、奈良県大和郡山市と生駒郡斑鳩町との境にある標高315mの山であるが、独立した山ではなく矢田丘陵の一部の峯をさしている。
    天武天皇の皇子舎人親王が、養老2(718)年に厄除けと日本書紀編纂の完成を祈願して建立したと伝わる松尾寺がある。日本最古の厄除け寺として知られ、2月、3月の初午の日の縁日には多くの参詣者でにぎわう。寺名は「まつのおでら」「まつのおさん」とも呼ばれる。境内にあるバラ園からバラの名所としても知られる。
    松尾山頂にはテレビの送信所があり遠方からも山頂であることがよくわかる。近くに国見展望台があり、眺望はこの展望台からが良い。
    〔明神山から直線距離8.4km〕

  • 32.JR関西本線

    名古屋-JR難波間約175㎞を結ぶ鉄道線で、名阪間で並行する東海道本線(約190㎞)、同新幹線(約187㎞)、近鉄線(約190㎞)の中で最短経路をなす。そのうち阪奈間は明治25(1892)年に開通し、現在は電化されたJR難波-加茂間を「JR大和路線」と通称し、「大和路快速」などが大阪府と奈良県、さらには京都府南山城地区を短時間で結ぶことで、通勤・通学の足として重要な役割を果たしている。

  • 33.近鉄生駒線

    王寺―生駒間約12㎞を結び、大正11(1922)年5月に信貴生駒電気鉄道が王寺―山下(現 信貴山下)間を開業させたことにはじまる路線で、山下―信貴山間の鋼索線(ケーブルカー)も建設した〔昭和58(1983)年9月廃止〕。昭和39(1964)年10月に近鉄に合併され、JR関西本線と近鉄奈良線を結ぶ役割に加え、現在は沿線に住宅地の開発が進み通勤・通学の利用も多くなっている。

  • 34.大和川

    大和川は奈良県桜井市の北東部、貝ヶ平山近辺を源流としていて、奈良盆地を西に向かって流れる。途中、盆地内の大半の河川を合わせ、生駒山地と金剛山地の間にある「亀の瀬」と呼ばれる地滑り多発地帯を通り大阪平野に出てまっすぐ西へと流れ、大阪湾に流れ込む。奈良県浄化センター南付近で、下流域は国土交通省大和川河川事務所の直轄管理、上流域は奈良県桜井土木事務所の管轄に分かれ、下流部は大和川、上流部は初瀬川と通称される。
    近世には水運が発達し、上流部では各所に浜が設けられて、大坂の中心部と大和の農村地帯を結ぶ重要な交通路であった。

North VIEW from the top of myoujinyama 奈良側(北方向)の眺望 vol.3

  • 35.東大寺

    奈良市雑司町にある華厳宗の大本山。聖武天皇の勅願によって創建。天平勝宝4年(752)に「奈良の大仏」として著名な本尊盧舎那(るしゃな)仏が開眼し、また唐僧鑑真によって戒壇院が設立されて三大戒壇の中心となる。二度の戦乱に巻き込まれ二度罹災するも、江戸時代に復興した現大仏殿は世界最大級の木造建造物。奈良時代の法華堂や鎌倉時代の南大門をはじめ多くの国宝建造物や仏像があり、二月堂で行われる「お水取り」などの行事なども著名。「古都奈良の文化財」の一つとして世界文化遺産に登録されている
    〔明神山から直線距離19.7km〕

  • 36.興福寺

    奈良市登大路町にある法相宗の大本山。7世紀中ごろ、藤原鎌足の遺志に従い夫人の鏡王女(かがみのおおきみ)が建てた山階(やましな)寺に始まるという。飛鳥に移ったあと、平城遷都に際し、藤原不比等によって現在地に移され興福寺となる。藤原氏の氏寺として栄え、平安時代には多くの僧兵を擁して権勢をふるった。五重塔・北円堂・東金堂などの国宝建造物のほか、阿修羅像をはじめ多くの国宝文化財がある。「古都奈良の文化財」の一つとして世界文化遺産に登録されている。
    〔明神山から直線距離18.6km〕

  • 37.奈良県庁

    興福寺の北に位置し、古都奈良の中心にありながら個性的でモダンな県庁舎である。以前の県庁舎はすぐ西側(現 奈良県文化会館の場所)に位置していたが、奈良学芸大学(旧 師範学校,現 奈良教育大学)の高畑町への移転後、昭和40(1965)年に現在の県庁舎が完成した。設計者は、旧国立競技場の設計にも携わった片山光生氏である。同氏は、隣接する奈良県立美術館や奈良県文化会館の設計者でもある。
    〔明神山から直線距離19.1km〕

  • 38.若草山

    若草山は、奈良公園の東端に位置する標高342mの山である。春日断層線上北部の三笠火山群に属する。山腹はなだらかで草地に覆われており、その面積は約33haである。
    山頂には鶯塚古墳があり「鶯山」とも呼ばれる。菅笠のような形の山が三つ連なって見えることから「三笠山」とも呼ばれているが、御蓋山と混同されてきた。江戸時代に南都八景の一つに「三笠山雪」 があげられる。これは草地の上に積もる雪が真っ白に美しく見えることによる。毎年1月第4土曜日には山焼きが行われ、夜空は花火と山焼きの炎に包まれる。山頂から見る夜景は、新日本三大夜景のひとつになっている。
    〔明神山から直線距離21.0km〕

  • 39.法隆寺

    奈良県生駒郡斑鳩町にある聖徳宗の総本山。推古天皇15(607)年に聖徳太子(厩戸皇子)によって建立される、天智天皇9(670)年に焼失。その後、再建されたと考えられる。世界最古の木造建築として知られる金堂、五重塔のほか、講堂・南大門・中門・夢殿などほとんどの建物が国宝。止利仏師作とされる釈迦三尊像をはじめ、百済観音像、救世(くせ)観音立像、玉虫厨子など多くの国宝文化財がある。「法隆寺地域の仏教建造物」として世界文化遺産に登録されている。
    〔明神山から直線距離7.1km〕

【文責】
奈良大学
・土平 博(文学部地理学科/歴史地理学):1,2,3,7,8,9,10,1112,13,14,19,20,21,22,23,26,27,28,29,30,31,34,38
・三木 理史(文学部地理学科/交通地理学):4,17,32,33
・東野 治之(文学部文化財学科/日本古代史):5
・村上 紀夫(文学部史学科/日本文化史):6
・木村 圭司(文学部地理学科/気候学):14,16
・稲垣 稜(文学部地理学科/都市地理学):18,37
・海津 正倫(文学部地理学科/地形環境学):24
・塩出 貴美子(文学部文化財学科/日本絵画史):25
・関根 俊一(文学部文化財学科/美術工芸史):35,36,39

【写真提供】
・一般財団法人奈良県ビジターズビューロー:1,3,5,28,34   
・神戸市:37

【参考文献】
・王寺町史編集委員会編『王寺町史 本文編』王寺町,2000年.
・『角川日本地名大辞典 29 奈良県』角川書店,1990年.   
・『日本歴史地名大系 30 奈良県の地名』平凡社,1981年. 
・『大神神社大鳥居建立記念誌』大神神社社務所,1987年. 
・三浦基弘・岡本義喬『橋の文化誌』雄山閣出版社,1998年. 
・信貴生駒電鉄株式会社社史編纂委員会編『信貴生駒電鉄社史』近畿日本鉄道株式会社,1964年.
・『近畿日本鉄道100年のあゆみ』近畿日本鉄道株式会社,2010年.