明治時代 農村に敷かれた県下初の鉄道

更新日:2017年02月28日

農村に敷かれた鉄道

 明治23年(1890)12月27日、奈良県で初めての鉄道が王寺・奈良間で開通し、王寺村に王寺停車場が開業しました。これによって、王寺村久度が王寺駅前として大きく発展していくことになりますが、それまでの停車場周辺は一面に田園が広がる農村地帯でした。昭和10年(1935)には654戸であった久度も、鉄道開通前の明治10年(1877)は37戸の小集落に過ぎなかったのです。明治22年(1889)「葛下郡王寺村実測全図」では、その様子を詳しく知ることができます。これによると、鉄道開通前の久度は、わずかな範囲に宅地が集中し、その周辺に広大な田地が広がり、集落のはずれに神社があるという典型的な農村の景観であったことがわかります。

(写真)昭和10年の王寺駅前の様子

昭和10年(1935)の王寺駅前の様子

駅の南側から北を撮影。
写真奥に見える山は、左から信貴山、生駒山、矢田丘陵 この画像は、複数カットにわけて撮影されたものを一枚に合成しています。

王寺駅ができるまで

 明治25年(1892)2月2日、大阪鉄道の湊町・奈良間(現JR大和路線)が全通しました。しかし、この路線は当初、王寺村ではなく高市郡今井町(現橿原市)を拠点に大阪・奈良・伊賀・五條などへ通じる計画でした。

 鉄道が王寺村を通るようになったのは再三の路線変更を繰り返したためです。また、王寺村久度に停車場が設置されることも当初から計画されていたわけではありませんでした。当初は龍田(現斑鳩町)に停車場を設置する計画であったものの、龍田の住人の反対に屈するかたちで久度に設置されることになったというエピソードもあります。鉄道の開通によって王寺村が大きく発展したのは、こうした偶然の重なりの結果であったともいえるでしょう。

(写真)路線変更の経過

路線変更の経過

(写真)鉄道の開通経過

鉄道の開通経過

王寺駅前の発展過程

 鉄道が開通して王寺村に駅が設置されると、駅前となった久度には商店や住居がおびただしく建ち並ぶようになりました。大正15年(1926)「王寺駅前発達戸数増加年次別図」はその過程を克明に示す貴重な史料です。

 これによると、鉄道開通前は農村だった久度が、鉄道開通後はまず駅前正面に商店・道路が形成され、しだいに集落の裏部分にも住居が広がりはじめるようになり、大正期の初めごろは、まだ信貴生駒電鉄が開通していなかったこともあって、信貴山への参詣道とそれにともなう商店が形成されるようになっていったことがわかります。こうして久度は農村から町場へと発展していったのです。

(写真)王寺駅前戸数発達増加年次

王寺駅前戸数発達増加年次別図
(天理大学附属天理図書館所蔵) 

(写真)亀の瀬隧道を走る鉄道

亀の瀬隧道(トンネル)を走る鉄道
(『天王寺鉄道管理局三十年写真史』)

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